「4畳半」

2023.01.13


僕は学生寮で2年過ごしました。

4畳半、風呂トイレ共有。

時代を感じる建物でした。

僕の部屋は鉄骨階段の横。

誰が上がってくると階段と部屋が一緒に揺れる。階段下は、外ですが洗濯機が2台いつもガタンガタン音がしていて、自分の部屋の前にはステンレスの流し台があり、昨日風呂に入れなかったヤツが体を洗ってたり、インスタトラーメンの残りを捨てるヤツがいたり。

あと冬は寒かったです。ただ浴室の上のヤツの部屋だけ暖かく、まるで床暖房。その部屋だけ冬は良かった。夏は…話せません。

寮には沖縄〜青森まで、いろんなヤツが居ました。学校内テストの過去問の集積場という頼もしい一面もあり、一度も授業を受けて来なかった学生も、ここでは全て平等でした。

フランス語は100点を取ってしまい、教授と目を合わせられなかったです…完璧な寮でした。

昨日話したジョンソンとは、少し違いましたが4畳半で大空間を考えてました。建築は、どこだって想像出来るんです。

東京に居る娘は、賃貸マンション。

オートロックは勿論、床暖房、風呂にはスチームサウナ付き。

恵まれているのか、いないのか…。

画像は、黒川紀章氏設計の今は無き「中銀カプセルタワービル」の一室。こんな4畳半なら良かったんですけど…笑

さぁ今日も図面です。

頑張りまーす!

 


「建築家は誰だってなれる時代」

2023.01.12


昨日、古い雑誌を見返してたら…

フィリップ・ジョンソンのデビュー作の自邸(1940年頃完成)を見つけました。今見ても素晴らしい建築です。

フィリップ・ジョンソン…

1940〜1990年代と長く活躍されたアメリカを代表する建築家。

ジョンソンは、ハーバー大学で哲学を学び、ヨーロッパに渡り優雅な遊学時代を過ごし、

帰国しニューヨーク近代美術館で学芸員に34歳でその職を捨て建築を学ぶ為、またハーバード大の大学院の建築科に再入学。

まぁ、ここまでは、どこにでもある話し。

また大学に通うため、自分で住宅を設計し建て、教授たちを招いてカクテルパーティを開いていたそうです。

まぁ、ここまでも…どこにでもある話し。

雑誌には、こう書いてありました。

「著名な弁護士を父に持ち、裕福な家柄の出身であるジョンソンは、お金のことなど全く気にかける必要のない身分でしたから、

わざとすこし遠回りして、自分を焦らすようにしながら、ゆっくりと建築に近づいて来たように見受けられる」

そうなんです…

建築家になるまでの寄り道は経済的に恵まれたエリートの特権でした。

昔は…建築家を目指すのは、お金持ちの息子だけみたいなのが日本にもありました。

私が建築を学び出したのが1990年頃。30年以上経ち、時代が求める建築家像が大きく変わり、また建築を取り巻く環境、経済、教育まで変化しました。

ただ今は誰だって建築家になれる時代になりました。

今、持て囃されている若手建築家の仕事を見ていくとデザインだけ、技術だけを提供するだけではなく、社会が必要としている空間づくりやコミュニティが垣間見ることができます。

都市に再生が必要な場や使われなくなった建築やコミニティーをどう組み直すのか真剣に取り組んでいます。


「はたちの集い」

2023.01.08


本日、東京から戻った次女が市内の「はたちの集い」に出席させて頂きました。

流石に…

こういう日は感慨深くなります。

20年も僕の子供で居てくれてましたから。今では建築家を目指しているなんて困ったもんです。

あとは彼氏ってとこですか…

親は残りの学費だけですが。

着物は長女も妻も着たものです。

妻の実家が大切に保管してくれてたんですね。

今まで沢山の方の支えがあったことを忘れないように今日はそんな日です。

これから数え切れない程のいろんな経験すべき事が待ち構えていると思います。

もし困ったら、いろんな人に助けてもらいなさい。そして…いろんな人を助けてあげなさい。で、本当に困ったら帰って来なさい。

おかえりって言うだけですが…笑

 


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